映画『勝手にふるえてろ』という傑作をあえて拗らせ女子目線で批判してみる【ネタバレあり】

私は綿矢りささんの小説が大好きで、中でもこの『勝手にふるえてろ』という小説が本当に本当に大好きです。

そんな『勝手にふるえてろ』が映画化されたということで、遅ればせながら先日、やっと観に行ってきました。

1人で観たのですが、もう笑いをこらえるのに必死で……めちゃくちゃ面白かったです!

当たり前ですが小説とは違う部分がけっこうあって、その違う部分が最高だったりして、これはもう映画として新しく作られた傑作という感じですね。

ただ、その上で一応小説ファンとして、何より拗らせ女子代表として(?)、「え~そこは……!」と思ったことが少しあったので、今回はあえてこの傑作の残念だった点を批判したいと思います!

完全なる【ネタバレ】を含みますので、映画を観た人だけ読んでいただければと思いますm(__)m

『勝手にふるえてろ』の簡単なあらすじ

最初に、映画は観たけどストーリー忘れちゃった!という方のためにストーリーを簡単におさらいしておくと、

拗らせ女子のヨシカが、『好きな人』と、『自分のことを好きな人』の間で揺れるというストーリーです。

先にネタバレをしてしまうと、最終的にヨシカは、自分の名前も覚えてくれていなかった『好きな人(イチ)』ではなく、一度は着信拒否されるほど怒らせてしまってもまだ自分を好きだと言ってくれる『自分のことを好きな人(ニ)』を選びます

なんというか、拗らせ女子の完全なるバイブルにしたい作品です。あ~本当に好き。

拗らせ女子代表としての不満

さて、ここから本題に入って行きます。

原作の小説好き&拗らせ女子代表(?)の私が、映画を観て不満に思った点です。

①『ニ』がカッコ悪すぎる

二は、もう少し『普通』の男に寄せてもよかったと思います。というのも、あまりにもカッコ悪すぎた

最初のデートでべろべろになってなぜかラブホ街をぶらつき始め、あげくの果てにゲロを吐く二……。

そりゃあ大好きなイチと比べて、気分が乗らないのは当たり前でしょう……!と言いたくなります。

ニはもう少しスポーツマン体系で(昔は部活頑張ってた系)、それなりにまともで、過去に何度か告白されたことなんかもある人じゃないかと思います。

つまり普通の、心が綺麗な女の子なら、自然に二を好きになっても全然おかしくないレベル。

だけどヨシカだから、ニのことを好きになれないはずなんです

つまり二は、拗らせ女子のヨシカ目線だからこそ、つい否定してしまう男性像にして欲しかったと思います!!

普通の男性が、好きな人の前で多少カッコつけたがるのは当たり前。

会社で「企画」のことを「プロジェクト」と言ったり、仕事で億単位のお金を動かしていることをアピールしてきたり、ヨシカが長々と自己紹介をする中で「彼氏がいない」という話題だけを拾って話を繫げてきたり、そのくらいのカッコ悪さは普通の男性にはあるものです。

だけどその類のカッコ悪さは、男性が気合を入れている最初の頃だけサラッと流すことができれば、付き合ってるうちにだんだん無くなってくるものなんじゃないでしょうか

それこそ、だんだんと『無難な男』になってくるものなんじゃないでしょうか。
(無難な男は貴重だ……!)

だけど拗らせ女子のヨシカだからこそ、細かい事をいちいち気にして、嫌悪感を抱いてしまうんです。バカにして冷めてしまうんです。

……

……

だから拗らせ女子は幸せになれないんですよ……!

悪気はないのに、いつからかひねくれて拗らせて、何となく自分の中にルールを作って、そのルールに反してきたり、気にくわない言動をしてきたりする男性を否定する。

否定したいわけじゃないのに受け付けられない。どうしてもカッコ悪いところが気になってしまう。

もう少し心がキレイだったら、あの人の小さな欠点を笑って流せたら、どんなに幸せだろうか……?

この拗らせ感を出すためにも、ニはもう少し『普通の男』であって欲しかった。

拗らせ女子のヨシカじゃなくても、さらっとナシ判定を押しそうな男には描いて欲しくなかったなと思いました。

ついでに言うと、ヨシカが木村君のタワーマンションに向かっている時にバッタリと二に会って二が付きまとってくるシーンは必要だったのか?と思ってしまう。
このシーンの必要性を語ってくれる方がいたら是非お話ししたいです。笑

②イチとの思い出のインパクトがちょっと薄れた

ここで一度、超くだらないことを言わせて頂きます。

映画の中でヨシカとイチの高校時代の思い出については、わりと小説が忠実に再現されていました。

イチと話したたった3回の思い出の中の1つ……。

先生に叱られて黒板に「僕は授業中私語を慎しみます」(映画だとなんて書いていたか忘れました。小説ではこれでした)と書いているところにヨシカが話し掛けるシーン。

小説では、ヨシカが「1つくらい“僕は授業中私語を慎みません”にしてもばれないんじゃないの」と提案します。するとイチは少し考えてその通りに書きます

この反省文の書き方をイチがその後何年も続けたことで、ヨシカはイチとの精神的な繋がりを感じます。この思い出はヨシカとイチが精神的に繋がっている証です。宝物です!!

(まぁ、そう思ってるのはヨシカだけなんですが……)

ところがこの重要なシーン……

映画では、ヨシカが「1つくらい違うこと書いてもばれないんじゃない?」と言ったことで、イチが少し考えて“僕は授業中私語を慎みません”と書きます

この微妙な違いがお分かりでしょうか?

小説では“僕は授業中私語を慎みません”という文章までヨシカが提案したのに対し、映画では“1つくらい違うこと”という曖昧な提案しかしていないんです。

これは小さい事だけど、拗らせ女子にはすごく大きいことなんです……!!

ヨシカにとってこれは数少ない成功体験です。

大好きな彼によい提案をできたたった1つの手柄です。

どうせなら文章まで提案したかった……!!!

“僕は授業中私語を慎みません”という、めっちゃナイスな文章の提案まで自分でしたかったよーーー!!!

拗らせ女子のこだわりをなめるなー! ということを表すための批判ですw

③「勝手にふるえてろ」というセリフの使い方が雑

一番残念だったのは、「勝手にふるえてろ」というセリフが最後のついでみたいに雑に出てきたことです。

小説の題名になっているこの「勝手にふるえてろ」というセリフは、どういう意味なのでしょうか?

これはイチに向けて(小説では心の中で)叫ぶセリフです。

10年も好きだったのに、私の名前も覚えてくれてないイチ。

処女だということがバラされて死にたくなっているのに、私の心の支えにもなってくれないイチ。

こんなに惚れさせて、正常な思考能力まで奪って、私を絶滅寸前まで追い込んだイチ。

イチなんか、もういい。イチなんか、勝手にふるえてろーーー!!!

そういう意味ですよね?

題名にもなっているこのセリフですから、とっても大事なセリフです。

だけどこのセリフが映画では、最後の最後でヨシカがニを選ぶことを決意するシーンで、ニに向かってさらっと「勝手にふるえてろ」と言うことで処理されています。

これじゃ分かんないよーーー!!! イチに向かってガツンと言わせてくれーーー!!!

なぜそこまでこだわるかと言うと、このセリフは『自分を必要としていない人・モノ』に別れを告げ、『自分を必要としてくれてる人・モノ』に目を向けるための大切なセリフだと思うからです

そもそも、映画ではイチが「ふるえていない」ことも問題だと思います。

イチがカッコよ過ぎるというか、ミステリアス過ぎるんですよね。

イチはもっとヘラヘラしてて、笑いながら怯えてて欲しかった。

きっとこじらせ女子のヨシカは、クラスメイトからいじられてへらへらしながら「ふるえている」イチを守りたかったんです。

ヨシカは自分がこの世に必要のない人間なんじゃないかって、心の底で思ってた。

だけど怯えて震えているイチには、自分が必要かもしれない。守りたい。好き。大好き。


だけどイチは自分を必要としていなかった。
だって名前も覚えていなかったんだもん。

当然、自分が必要とする時に助けてもくれない。

イチを救いたい。救いたいけど、お呼びでない。お呼びでないことを今まで認めたくなかったけど、認めるしかない。

あらそうですか。お呼びでない。お呼びでないなら、勝手にふるえてろ!!!

このセリフは、「自分を必要としない夢の世界」との決別です。

だけど自分の周りを見てみてください。ニはこんなにも自分を求めている。

きっとニだけじゃない。同僚のクルミだって、なんだかんだヨシカが休んで困ってるんですよ。

だから留守電なんて入れてきた。ついでに部長のフレディだってヨシカが必要。

ひねくれて拗らせて、痛くなかったら手首切ってるほど辛い出来事もあるけど、だけど私を必要としている人はいる。必ずいる。

だから私を必要としてない夢の世界の人々には勝手に生きてもらって、私は私の世界を生きればいい。

それをひとことで言うとつまり「勝手にふるえてろ」だったのに、この言葉の持つ意味が分かって震える!みたいな感覚の演出が映画ではされてなかったことが残念でした。

最後に……

ちなみに私は数年前にこの小説を読んだ時、ヨシカが『ニ』を選んだことが少しショックでした

なぜなら、自分がまだ理想の世界と決別できていなかったからです。

小説の中で傷ついてもなお、まだ自分の現実世界でそこまで傷ついていなかった私は、「私なら『イチ』を追いかけちゃうな~」「だって『ニ』はイヤなんだから仕方ないじゃん」とノンキなことを思っていました。

同じことを思っている方、いらっしゃるんじゃないでしょうか?

外見とかダサさとか気にせず、優しくて愛のある人を好きになれば幸せになれることは分かってる。分かってるけど無理なんだよ!

好きな人が好きなんだから仕方ないじゃねぇかーーー!

と思ってる方、いらっしゃるんじゃないでしょうか?私もその1人でした。

だけど今なら、私は『二』を選んだヨシカに拍手ができます!

なぜこんな風に心を変えることができたかと言うと、そのヒントもこのストーリーの中に含まれているんです。

そうです。ヨシカになるのです!!

ヨシカになって、『イチ』にコテンパンにフラれましょう!!!

私は最近、好きな人にめちゃめちゃ冷たくされる機会に恵まれました。

恋は盲目で気づかなかったけれど、自分が惚れた男がすごく冷たい男だったと冷静に実感した時、「つべこべ言わずに、自分を好きになってくれる人を好きになろう」と思いました。

ヨシカが小説で体験したことを、自分も身をもって体験すればいいのです。

みなさん、好きな人を忘れられなくて困っているなら、ヨシカを見習ってぶつかりましょう。

理想の世界に懲りて、現実に戻って来ましょう!!

きっとそれが幸せへの第一歩です。

よしっ。やっと理想の世界と決別できた。『ニ』を迎え入れる準備は整った!!!

……

……

あれ? 私の『ニ』はどこだ……?

コメント

  1. 横山 より:

    初めまして!
    まさにこれ!これが言いたかったーー!!ということを書いてくださってありがとうございます!!
    本当に、なぜ二をあそこまでウザくしちゃったのか‥。「勝手にふるえてろ」って台詞もなんだかボヤけてて。原作のラストの二にはときめいたんですが映画はできませんでした‥。二にはもう少し感情的にならずヨシカを叱って欲しかったです。
    松岡茉優ちゃんの演技も演出も素晴らしいし、あとちょっとで間違いなく傑作になったのになあ。大好きな映画なんですけど。
    あ!二がマンションのエレベーターまで乗り込んできたのは、一、二、ヨシカのスリーショットの絵をいれたかったのかな?と思いながら観てました。
    長々と失礼しました。

    • 安藤 寧音 より:

      横山様
      コメントありがとうございます!!分かって頂ける方がいて本当に嬉しいです!!
      そうなんですよね~二はもう少し大人でいて欲しかったですよね……。
      大好きな映画だけど…っていう気持ちも分かります!
      そして、あのシーンは言われてみればそうですね……!!ものすごく納得しました!!
      映画としてあのシーンが必要だったと思えてスッキリです!本当にありがとうございます(^^)
      横山様のおかげで記事書いてよかったと思えました♪ありがとうございました♪